ごはんづくり
どうも。ひよりです。
私は人に気を使いすぎて疲れる癖があります。
気を使うというよりかは、「人に自分がどう思われているかが気になる」という方が正しいです。
人の目ばかりを気にして生きていると、自分の気持ちはついおざなりになりがちです。
自分の心の高下は分かるのですが、「なんとなくざわざわする」とか、「なんとなく嫌な気分だ」とか「なんとなくご機嫌だ」など、なんとなくの気持ちがふつふつとわいては消えていく、そんな感じです。
例えば人から嫌な態度を取られて自分の心がなんとなくざわざわした時、真っ先に考えるのが相手の「なぜ?」。「なぜ相手はそのような態度を取ったのだろう」ということ。
「なぜ私はああいう態度を取られるとざわざわしてしまうのだろう?」ということについて考えることはまずありません。
たとえばネガティブな感情が湧き続けたとして、それを発生させた他人をどうしようもできなければ(そもそも、他人をどうこうしようということはできない、ということは随分昔に学習している)、その感情を見なかったことにする。
そうして見ないことを続けると、その感情はあってもないことになって麻痺します。
でもその感情は「ある」ので、無意識にその感情を感じないために、その感情が発生しそうな状況を作らないように予防線を張る。
それがいわゆるトラウマというものなのかなと思うのです。
私にとってそれは「ごはんづくり」。
子どもたちには毎日何かしらのごはんを作るし、何の問題もなくこなすことができます。
こと、パートナーにごはんを作ろうとすると、何だろう、背すじが冷たくなり思考がぐるぐると回りだします。
「何を作ろう、あれが食べたいけど上手に作る自信はないし、食材はどこに買いに行こう、買い物リストがいるけど書きたくないし・・ああ、どうしよう・・」
と何かに追い立てられるように思ってしまう。
これ、結婚していた頃の後遺症だなぁと思います。
ちなみに今のパートナーはごはんに対して無頓着な人です。
食べたいときに食べればいいし、毎食コンビニでもよさそう・・。
なので今までごはんについて色々言われたことがないし、
わたしが気まぐれに作るとすごく嬉しそうに食べてくれます。
気まぐれに作ろう、と思い立っても実は心の中はざわざわ・・。
最後までちゃんと作れなくて味付けは彼に任せたり、
後片付けはしなかったりしてるのですが、そんなの全然気にならない様子。
わーい、手料理だー♪みたいな軽いノリで喜んでくれるし、
片付けもとっても手際よくやってくれます。
そらそうだ。色々と気にしているのは私なんですよね・・。
そんなこんなで「あれ食べたいから作って」と言われることなく今まできたのですが、
つい最近、彼が言いました。
「〇〇〇が食べたい」と。
また書きます。